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東京地方裁判所 平成5年(刑わ)463号 判決

主文

被告人A子及び同Bをいずれも死刑に処する。

理由

(被告人両名の身上経歴)

一  被告人A子は、昭和四〇年九月一日、東京都目黒区において、父C、母D子の子として出生したが、同五二年ころ両親が別居したため弟二人と共に母親に引き取られ、静岡県沼津市内の中学校を卒業後、同県立甲野高校商業科に進学し、同五九年三月、同高校を卒業した。その後、同県内のレストランや東京都内の無線機製造会社等に勤務し、同六一年五月ころからは沼津市内の書籍販売会社に勤務していたが、平成四年一月に同社を退社し、同年五月ころから同市内のコンパニオン派遣会社で事務員として働いていた。なお、昭和六一年に業務上過失傷害罪により罰金刑に処せられたことがある。

二  被告人Bは、昭和四七年一二月一五日、東京都大田区において、父E、母F子の次男として出生したが、同五三年に両親が離婚したため長男と共に母親に引き取られて成育し、同六〇年四月、東京都葛飾区内の中学校に入学した。しかし、そのころから窃盗等の非行によつて何度も補導されるようになり、同六二年三月、ぐ犯により初等少年院送致の処分を受け、赤城少年院に約一年間入院した。同六三年三月に中学校を卒業後、中華料理店や印刷会社等に勤務したものの、いずれも長続きせず、平成元年一二月、ぐ犯及び窃盗の非行により中等少年院送致の処分を受け、東北少年院に約一年間入院した。さらに、同三年八月、窃盗、道路交通法違反及び業務上過失傷害の非行により特別少年院送致の処分を受けて久里浜少年院に入院し、同四年八月に同少年院を仮退院した後は、喫茶店店員等の職を転々としていたが、同年一〇月下旬ころからは静岡県沼津市内のパブスナックでホストとして働いていた。

(犯罪事実等)

第一  G子方における窃盗及び強盗殺人事件

一  被害者両名の身上経歴

G子は、昭和一七年一〇月一六日、亡父H、母I子の三女として新潟県で出生し、同県内の中学校を卒業後上京し、昭和三七年ころからクラブホステスとして働き、同三九年ころ、クラブに客として来ていたJと交際を始めた。そして、同人に東京都豊島区《番地略》に二階建て家屋を建ててもらい、その一階部分を自宅とし、二階部分をアパート乙山荘として賃貸し収入を得ていた。同四三年、Jとの間にK子をもうけたが、同五二年にJが死亡した後はアパート経営のほか中華料理店店員等をし、同五七年四月ころからは運送会社の経理係として働いていた。

K子は、昭和四三年五月一七日、G子とJの子として東京都板橋区で生まれ、東京都豊島区内の中学校を卒業して調理師専門学校に入学したが、約二年で中退し、その後は喫茶店店員等をし、平成四年一二月ころからは牛丼屋の店員として働いていた。

本件当時、G子及びK子は、前記豊島区目白の自宅(以下、G子方という。)において、二人で暮らしていた。

二  犯行に至る経緯

被告人両名は、平成四年一〇月末ころ、被告人Bの勤めるパブスナックに同A子が客として訪れたことから知り合つた。被告人A子は同Bに好意を持つて店に通うようになり、互いに恋愛感情を抱き、間もなく肉体関係を持つに至つた。そして、どちらからともなく二人で沼津を離れて遠くへ行こうという話が持ち上がり、同年一一月七日、被告人A子が勤務先から持ち出した現金八〇万円余を資金として二人で家出をし、仙台に行つた。その後、被告人両名は、沼津に引き返して被告人A子の父親方から預金通帳を持ち出し、銀行から現金一七五万円を下ろして生活費等に充てながら、東京、仙台、名古屋等のホテルを転々とし、パチココなどをして遊ぶ暮らしていた。しかし、次第に金銭に窮するようになり、被告人A子の知人らから借金をしたり、後記犯罪事実第二記載のとおり知人方等において窃盗をし、窃取した品物を質屋で換金したりするなどして、生活費、遊興費等を捻出していた。

ところで、被告人A子は、昭和四四年ころから同四七年三月ころまで母親らと共に前記乙山荘に住んでいたことがあり、その当時、家族ぐるみでG子親子と親しく交際していた。また、被告人A子は、その後もG子方を訪問したことがあり、同人方の様子などをおおよそ知つていた。そこで、同被告人は、平成四年一一月下旬ころ、被告人Bに対し、G子がアパートを経営していること、同人方には金庫があつたこと、この金庫を開けることができれば多額の現金等を得られるであろうことなどを話した。こうして、被告人両名は、G子方を窃盗の対象として考えるようになつた。なお、被告人両名は、G子に借金を申し込んだとしても被告人A子の母親に連絡されるおそれがある上、期待するほど多額の金銭を貸してくれることはないであろうと考えたため、G子から借金をしようとは考えなかつた。

三  窃盗の犯罪事実

被告人両名は、平成四年一二月一〇日ころ、所持金が数万円程度に減り、また、借金を申し込んだり窃盗を行つたりする対象である被告人A子の知人らもなくなつてきたため、G子方で窃盗を行うことを共謀した。

被告人A子は、右共謀に基づき、同月一五日午前九時過ぎころG子方に赴いたところ、K子がいたために口実を設けてG子方に上がり込み、G子親子の留守を狙つて窃盗をしようと考え、K子からそれとなく両名の勤務状況や在宅時間等を聞き出した。その後、被告人A子は、一旦G子方を出て、K子が外出するのを待つて再びG子方に戻り、四畳半納戸の押入れに耐火金庫があることを確認したが、その鍵を見つけることができなかつたため金庫を開けるのを断念し、同日午前一一時三〇分ころ、六畳和室において、K子名義のキャッシュカード一枚を窃取した。

以上のように、被告人両名は、共謀の上、G子方からキャッシュカード一枚を窃取した。

四  強盗殺人の共謀状況等

被告人両名は、窃取したK子名義のキャッシュカードを利用して銀行から現金を引き出そうとしたが、暗証番号が分からず失敗に終わつたため、何としてもG子方の金庫の中にある現金、預金通帳等を盗み出したいと考えるようになつた。そこで、被告人両名は、翌一六日午後零時過ぎころ、東京都荒川区内のホテル「ニュー丙川」に宿泊した際、G子方の金庫を開ける方法を話し合い、その結果、金庫の鍵はG子が身に付けていると思われたので、これを奪つて金庫のダイヤル番号を聞き出す以外に方法がなく、しかも被告人A子がG子親子と顔見知りであることから、被告人両名の犯行と発覚しないようにするにはG子親子を殺害するほかないとの結論に達した。また、被告人A子がG子親子と顔なじみで警戒されにくいのに対し、被告人Bは少年院歴があつて指紋を残せば警察に疑われやすいことなどを理由に、被告人A子が一人でG子方に赴いて犯行を実行することとした。さらに、G子だけがいたときは、同女を襲つて金庫を開けさせ、金品を奪つた後に同女を殺害し、K子の帰宅を待つて同女も殺害すること、K子だけがいたときは、同女を殺害した上で、帰宅するG子を襲つて金庫を開けさせ、金品を奪つた後に同女も殺害すること、G子を襲う方法としては、金槌で同女の頭部を殴打し、気絶させて縛り上げた上、鍵を奪つてダイヤル番号を聞き出すこと、殺害方法としては、いずれも金槌で頭部を殴打して気絶させた上、G子方台所の包丁を使つて心臓を突き刺すこと、被告人A子は犯行後ホテルに戻り、二人で新幹線を使つて東北地方に逃走すること、G子親子が二人ともいたときには犯行を断念することなど、G子親子の在宅状況に応じた綿密な行動計画を立て、ここに被告人両名は、G子親子を殺害して金品を強取することの共謀を遂げた。

被告人A子は、同日午前七時過ぎころ、右計画を実行しようと一人でホテルを出発したものの決心がつかず、G子方に行かずにホテルに戻つたが、犯行に及ばなかつたことを被告人Bから強く責められたため、犯意を固め直し、翌一七日には必ず実行することを同被告人に誓つた。

被告人両名は、一六日午後一〇時三〇分ころ、東京都八王子市内のホテル「丁原」に宿泊し、翌日に右計画を実行することを確かめ合つた上、計画を一部変更し、被告人A子がG子を殺害した後に被告人Bの待つホテルに電話を入れ、同被告人がG子方付近まで赴いて落ち合うこととした。

五  強盗殺人の犯罪事実

被告人A子は、右共謀に基づき、翌一七日午前六時過ぎころ、金槌等を入れたスポーツバッグを携えて一人でホテルを出発し、電車を乗り継ぎ、午前八時二五分ころ、G子方を訪ねた。ちようどG子は出勤間際で、K子は就寝中であつたが、G子は被告人A子を室内に招き入れ、ゆつくりしていくようにと言い残し、ほどなく外出した。そこで、被告人A子は、まずK子を殺害しようとしたが、なかなか踏ん切りがつかなかつたので被告人Bに二回電話をかけ、その際に同被告人から早くK子を殺害するように強く促されたものの、やはり決断できずにいたところ、同女が起き出して外出してしまつた。その後もG子方でK子の帰宅を待つていた被告人A子は、午後二時ころ、被告人Bに電話をかけてK子が外出したことを伝えたが、同女を殺害しなかつたことを同被告人から強く非難されたため、G子親子殺害の決意を固めている旨を告げた。午後四時過ぎころにK子が帰宅したことから、被告人A子は、K子と話をしながら同女を殺害する機会をうかがつていたが、なお踏ん切りがつかないでいたところ、G子からの電話で同女が午後六時過ぎころ帰宅することが分かつたため、その前にK子を殺害しなければならないと考えた。

被告人A子は、同日午後五時ころ、意を決してバッグから金槌を取り出し、これを右手に握り、八畳居間のこたつに座つて漫画を読んでいたK子の背後に立ち、同女を気絶させようとして金槌で同女の後頭部を多数回殴り付けたものの、同女がなかなか気絶しなかつたため、更に後頭部を金槌で殴打し続けた。ところが、K子が気絶せず電話機に手を伸ばしかけたので、同女が誰かに助けを求めようとしているものと思い、自分のマフラーを使つてK子の首を絞め付けたが、同女がなおも抵抗したので、包丁で刺し殺そうと考えた。しかし、台所へ包丁を取りに行つている間にK子が電話するおそれがあつたため、同女を廊下まで引きずり出し、再び金槌で後頭部を何度も殴打したところ、同女はなお気絶しなかつたものの、その場にうずくまつた。そこで、被告人A子は、ここでK子を殺害しようと考え、台所から文化包丁一丁(刃体の長さ約一七・八センチメートル)を持ち出してK子に近づき、包丁を右手で握り、心臓を狙つて同女の左胸部を包丁で突き刺し、さらに、同女が動かなくなるまで胸部、背部等を包丁で多数回にわたつて突き刺し、胸部、背部等に多数の刺切創の傷害を負わせ、そのころ、同所において、K子(当時二四歳)を心臓及び肺の刺創に基づく失血により死亡させて殺害した。その後、被告人A子は、六畳和室に置かれていたG子所有の革製ハーフコート一着(時価約八〇〇〇円相当)を奪い取つた。また、K子の遺体を廊下に置いたままではすぐにG子に見つかつてしまうと思い、四畳半納戸に遺体を運び込んだ。

被告人A子は、同日午後五時過ぎころ、G子方から被告人Bに電話をかけ、K子を殺害したことやG子を待ち伏せて殺害するつもりであることを告げたところ、被告人Bは、G子も必ず殺害するようにと念を押した。そこで、被告人A子は、台所から新たに文化包丁一丁(刃体の長さ約一七・五センチメートル)を持ち出し、これをズボンの後ろ右ポケットに入れ、K子殺害の際に使用した包丁をズボンの後ろ左ポケットに入れ、金槌を右手に持つたほか、台所にあつたパンティストッキング二足を持ち出し、これをG子の首に掛けて同女を六畳和室に引つ張り込もうと考えた。そして、家中の電気を消し、六畳和室入口のアコーディオンカーテンの陰に隠れてG子を待ち伏せた。

同日午後六時三〇分ころ、G子が帰宅して六畳和室に入つてくると、被告人A子は、G子の首にパンティストッキングを掛けて力一杯引つ張り、ベッドにうつ伏せに倒れ込んだ同女を気絶させるため、同女の頭部目掛けて金槌を数回振り下ろしたものの、狙いが定まらず、金槌を落としてしまつた。しかも、G子と揉み合いとなつているうちに同女が悲鳴を上げたため、同女を気絶させるのを諦め、直ちに包丁で刺し殺すほかないと考えた。そこで、被告人A子は、右ポケットに入れておいた包丁を右手で持ち、ベッドから起き上がろうとしたG子の身体目掛けて数回包丁で突き刺したが、思うほうに刺さらなかつたためこの包丁を捨て、今度は左ポケットに入れておいた包丁を取り出して右手で持ち、床に倒れた同女の上半身目掛けて包丁で多数回突き刺し、顔面、頚部等に多数の刺切創の傷害を負わせ、そのこと、同所において、G子(当時五〇歳)を右総頚動脈及び右内頚静脈の切開に基づく失血により死亡させて殺害した。その後、被告人A子は、台所のテーブルに置かれていたバッグからG子管理の現金約一七万円及びキャッシュカード三枚ほか二点在中の財布一個(時価約一〇〇〇円相当)を奪い取つた。

以上のように、被告人両名は、共謀の上、金品強取の目的でG子親子を殺害して前記各金品を強取した。

第二  その他の窃盗事件

被告人両名は、共謀の上、

一  平成四年一二月二日、静岡県駿東郡《番地略》L方において、同人ほか一名所有の現金約一万円及びネックレス三本ほか一九点(時価合計約二六一万三五六〇円相当)を窃取し、

二  同月四日、同県沼津市《番地略》M方において、同人所有の現金約一万六〇〇〇円及びカメラ二台ほか五点(時価合計約三万六〇〇〇円相当)を窃取し、

三  同月八日、同市《番地略》N方において、同人所有のパソコン一式(時価約一三万円相当)を窃取し、

四  同月一三日、山梨県西八代郡《番地略》所在の駐車場に駐車中の自動車内から、O所有のゴルフクラブ一二本在中のゴルフバッグ一個(時価合計約一二万円相当)を窃取した。

(証拠)《略》

(補足説明)

一  被告人B及びその弁護人は、第一のうちの強盗殺人及び第二の三のN方での窃盗の各事実につき、いずれも、被告人Bは同A子と共謀していないから無罪である旨主張するので、補足して説明する。

二  強盗殺人事件について

1  まず、関係各証拠によれば、本件犯行に至る経緯、共謀の状況及び犯行状況等として、以下の事実を認めることができる(なお、これらの事実については、被告人Bも争つていない。)。

被告人両名は、平成四年一〇月末ころに知り合い、同年一一月七日に二人で家出をした後は享楽的な生活を続けていたが、次第に金銭に窮するようになり、知人らから借金をしたり、知人方等において窃盗を重ねるなどして生活していた。

被告人両名はG子方での窃盗を企て、同年一二月一五日、被告人A子がG子方でキャッシュカード一枚を窃取した際、金庫を開けようとしたが鍵を見つけることができず失敗に終わつた。

被告人両名は、同月一六日午前零時過ぎころ、ホテル「ニュー丙川」に宿泊した際、G子親子を殺害して金品を奪うことについて話し合つた。

被告人A子は、同日午前七時過ぎころ、一人で同ホテルを出発したが、G子方には行かず同ホテルに戻つた。

被告人両名は、同日夜、ホテル「丁原」に宿泊した。

被告人A子は、翌一七日午前八時二五分ころ、一人でG子方を訪れ、同ホテルにいた被告人Bに対し、午前八時四二分(通話時間三分四三秒)、午前九時二分(同六分三七秒)、午後二時七分(同一一分三〇秒)、午後二時一九分(同一分四九秒)及び午後五時一〇分(同七分三九秒)の五回にわたり、G子方から電話をかけた。

被告人A子は、同日、G子親子を殺害して財布等を奪つたが、金庫を開けることはできず、同ホテルに戻つた。

被告人両名は、同日、同ホテルを出てG子方に行き、金庫を開けようとしたが失敗に終わつた。

2  以上のように、被告人Bも、犯行の前日にG子親子を殺害して金品を奪うことを被告人A子と話し合つたことや、犯行当日G子方にいる同被告人から何回か電話がかかつてきたこと、犯行後同被告人とG子方に行き、G子親子が死亡しているのを認識しながら金庫を開けようとして失敗したことなどは認めているのであるが、同被告人との前日の話合いは冗談のつもりであり、同被告人がG子親子を殺害して金品を奪う意図であるとは思つていなかつたと述べて、共謀を否認しているので、以上の経緯、特に一二月一六日以降の過程において、被告人両名の間でどのような会話がなされ、どのような意思が形成されていつたかを検討する必要がある。

3  この点に関し、被告人A子は、捜査段階及び第四回公判以降の公判段階において、概ね次のとおり供述している(なお、以下においては、被告人両名につき、単にA子、Bともいう。)。

(一二月一六日午前零時過ぎころ、ホテル「ニュー丙川」において)

私とBとで、G子方の金庫から金品を盗み出すためにG子に気付かれずに金庫の鍵を入手するにはどうすればいいかという話をしている中で、Bから「殺しちやうという方法もあるよなあ。」と言われ、一瞬驚いたものの、その時は単なる思い付きだろうと思つた。しかし、これがきつかけとなつて話がだんだん具体的になり、私は次第に本気でG子殺害を考えるようになつた。Bの話し方も、もはや冗談や思い付きで言つているようではなく、真剣で熱つぽくなつていたし、話の内容も一層具体的になつてきたので、Bも本気であることが分かつた。私達は、G子を脅して金庫を開けさせた上、同女を殺害して金品を奪う意思があることをお互いに確認し合い、細かく話を進めていつた。さらに、私達が犯人であると悟られないためにはG子だけでなくK子も殺害する必要があると私が提案し、その後は、二人を殺害することを前提として話を進めた。そして、計画をうまく実現させるためには私が一人でG子方に行つて実行するほかないということになり、更に殺害方法等を細かく決めていつた。その際、Bは、G子を脅して金庫を開けさせる方法や、二人を金槌で殴つて気絶させた上で、包丁を使つて刺して殺す方法等について教えてくれた。私達はこの日の朝に計画を実行することとし、殺害後の逃走方法等についても細かく打ち合わせた。

(同日、A子がG子方に行かずホテルに戻つてきた後)

Bから「どうして行つてこなかつたんだよ。やつぱりお前にはできない。俺だつたらできる。お金もないし、困るだろう。」などと責められたので、やはりやらなければだめだと自分に言い聞かせ、私が「だつたら、明日絶対やつてくるよ。」と言うと、Bは「頼むよ。」と言つた。

(同日夜、ホテル「丁原」において)

私はBに「明日は絶対行つてくるね。」と言い、前夜に決めた手はずを再確認した。ただ、犯行後のことについては、Bが「(ホテルのある)高尾まで戻つて来るのは大変だから、おばさん(G子)を殺したら電話しろ。俺が近くまで行つて待ち合わせしよう。」と提案して計画を変更した。私が再度「明日は必ずやる。」と言うと、Bは「そうしろ。」と言つた。

(翌一七日の電話でのやり取りなどについて)

一回目(午前八時四二分ころ)

私が「おばさんが出掛けた。娘が休みでまだ寝ている。」と言うと、Bは「娘が寝ているんなら今のうちに殺しちやえよ。」と言つた。私は、先にK子を殺しG子が帰つてきたら同女も殺して金品を奪うつもりであるとBに伝え、一旦はやる気になつた。しかし、電話を切つた途端にK子を殺すのが怖くなつて、決心が鈍つてしまつた。

二回目(午前九時二分ころ)

私が「やつぱり怖くてできないよ。」と言うと、Bは「寝ているんだからできるだろう。」と言つた。Bは次第にいらいらしてきた様子で、喧嘩のような言い合いになつてしまつた。それで私は「分かつた。やる。」と言い、K子は眠つているのだからできるはずだと自分に言い聞かせ、K子を殺そうと決めて電話を切つた。しかし、いざとなると決断が鈍つてしまい、迷い続けているうちにK子が起きてきて外出してしまつた。

三回目(午後二時七分ころ)

私が「娘が出掛けちやつた。まだ戻つて来ない。」と言うと、Bに「だからさつきやればよかつただろう。お前がぐずぐずしているからだ。」と叱られた。この時はBが風呂に入つている最中だつたので、電話をかけ直すことにした。

四回目(午後二時一九分ころ)

Bから「おばさんと娘が一緒に帰つて来たらどうするんだよ。」と言われたので、私は「多分、娘が先に帰つて来るだろうから帰つてきたら必ずやるよ。その後におばさんを殺す。」と返事をした。すると、Bは「やる、やると言つても、どうせできねえんだろう。」と私をばかにするような言い方をしたが、私が「大丈夫だよ。」と言うと、Bは「分かつた。」と言つた。

五回目(午後五時一〇分ころ)

私が「娘を殺しちやつた。」と言うと、Bは「本当にやつたのか。」と言つたので、「こんなこと嘘言えるわけないでしよう。」と答えた。さらにBが「おばさんはどうした。」と聞くので、「六時過ぎころ帰つて来るから帰つて来たら殺す。」と言うと、Bは「ここまでやつたんだからおばさんも絶対殺せよ。」と言つた。私は「おばさんを殺したら電話するよ。」と言つたが、Bは「いや、電話しなくていいからすぐ帰つて来い。」と言つた。

4 被告人A子は、本件強盗殺人の犯行を自ら実行した者であるが、被告人Bと共謀しその指示に従つて実行したなどと述べることによつて、自己の刑事責任の軽減を図ることが可能な立場にある。したがつて、被告人A子の供述については、いわゆる共犯者の供述に特有の危険性、すなわち、他人を共犯者として引き込み、自己の刑事責任の一部をその共犯者に転嫁しようとして虚偽の供述をするおそれがないとはいえないので、その信用性の判断は慎重でなければならない。殊に、同被告人は、第一回公判の冒頭手続において本件の共謀に関する認否を留保し、第三回公判の被告人質問においては被告人Bとの共謀を否認し、自分の単独犯行である旨供述したにもかかわらず、第四回公判以降は捜査段階における同様に被告人Bとの共謀を認める供述をしているのであるから、ことさら同被告人に不利益な虚偽供述をしているおそれがないか検討する必要がある。

また、被告人A子は、起訴後頻繁に被告人Bと手紙のやり取りをしていたのであるが、第三回公判と第四回公判の間に、窃盗事件等の被害弁償に関する被告人Bの考えを尋ねる手紙(甲五二二、平成五年八月一五日付け)を同被告人に宛てて送つたところ、同被告人から被告人A子を非難する内容の返事(甲四七二、同月一七日付け)が届いたため、その後は被告人Bに宛てて手紙を書かなくなつたという経緯が認められる。したがつて、第四回公判における被告人A子の供述の変遷については、被告人Bに対する感情の悪化がその一因をなしているものとうかがわれる。

しかしながら、被告人A子は、捜査段階において、被告人Bの刑事責任が軽くなることを願う旨供述し(被告人A子の検察官調書--乙二六)、同被告人との手紙のやり取りの過程でも好意を寄せていることを書き綴つているほか、単独犯行であると供述した第三回公判においても、同被告人が好きであるとはつきり供述している。これらの事実からも明らかなように、被告人A子は、本件犯行当時から第三回公判までは被告人Bに対し強い恋愛感情を抱き続けていたものと認められるから、捜査段階においては、同被告人をかばう供述をしたおそれがあるとしても、逆に虚偽の供述を織り交ぜて同被告人に不利益なことをことさら述べたとは到底考えられない。しかも、被告人A子は、第四回公判以降においても、同被告人が捜査段階でほぼ一貫して供述していた内容と概ね同趣旨の供述をしているのであり、いわば供述を元に戻したに過ぎないのであつて、捜査段階よりも被告人Bにとつて不利益な内容の新たな供述をしているわけではない。

このような事情に照らすと、被告人A子が公判の当初の段階において一旦は被告人Bとの共謀を否認し、単独犯行と供述した原因は、被告人A子が同Bとの手紙のやり取りを通じ、同被告人が依然として被告人A子に対し強い恋愛感情を抱いていることを確信すると同時に、被告人Bが公判廷において共謀を否認する意図であることを知つて、同被告人からの手紙に記載された弁解内容に沿う供述をして同被告人をかばいたいと考えたためであり、また、その後捜査段階の供述に戻つたのは、被告人A子自身が公判廷で説明しているように、被告人Bに対する感情に左右されることなく、本件を反省するためには真実を供述する必要があると判断したことによるものと認められる。

以上のような理由により、被告人A子は、捜査段階及び第四回公判以降の公判段階のいずれにおいても、自己の刑事責任の軽減等を図つて虚偽の供述をした疑いはないものと認められる。

また、被告人A子の供述は、同Bとの共謀が形成されるに至つた状況、共謀の内容、電話での会話内容のみならず、犯行に至る経緯、G子方における行動、G子親子の殺害状況、犯行後の状況等についても、極めて具体的かつ詳細で迫真性もあり、その内容に特に不自然不合理な点はなく、前述した本件の経緯や客観的証拠から認められる犯行前後の状況等にもよく整合するのみでなく、被告人Bの捜査段階における供述内容とも概ね一致している。

したがつて、被告人A子の供述(ただし、第三回公判の供述を除く。以下同じ。)の信用性は極めて高いものと認められる。

5 他方、被告人Bも、捜査段階においては、同A子との共謀を認める供述をしている。特に、被告人Bの検察官調書(乙六二ないし六六)は、犯行に至る経緯、各ホテルにおける被告人A子との話合いや犯行当日の電話での会話内容、同被告人と共にG子方に赴いて金庫を開けようとした状況、その後の行動等について、詳細かつ具体的で迫真性のある供述が含まれている上、その内容に特に不自然不合理な点がなく、前述した本件の経緯等にもよく整合し、被告人A子の供述とも概ね一致している。

なお、被告人両名の間では、共謀の日時を一日遅らせる旨の口裏合わせが逮捕前に行われたものと認められるが、それ以外に本件に関して口裏合わせをした形跡はうかがわれず、口裏合わせした点についても、実際には両名ともそれに合わせた供述を維持しなかつたものと認められる。

もつとも、被告人Bは、自己の検察官調書につき、検察官が被告人A子の供述調書を前提としてそれに沿つて誘導し勝手に作成したものである旨主張している。しかし、被告人Bの検察官調書をみると、同A子の検察官調書とは食い違う供述が記載されている。例えば、犯行当日、被告人A子は、K子が眠つている間に台所に置かれていたバッグの中から現金四〇〇〇円を盗んでいるところ、この点につき、被告人A子は、そのことを一回目の電話で被告人Bに伝えた旨供述しているのに対し、同被告人は、五回目の電話でそれを聞いたのであり、一回目の電話ではなかつたと思う旨供述している。このような点に照らしても、検察官が誘導して勝手に作成したとは考え難い。

したがつて、被告人Bの捜査段階における供述は十分信用できる。

6 これに対し、被告人Bは、公判廷において、「G子親子を殺害して金品を奪うことを一二月一六日にホテルでA子に話したが、それは冗談のつもりだつた。その日、A子がG子方に行かずにホテルに戻つてきてからはG子親子殺害に関する話は一切していない。翌日、A子がG子方に出かけたのはG子に借金を申し込むためであり、A子からの電話も借金に関する内容だつた。」と供述し、共謀を否認している。

しかし、右供述は、被告人A子の供述に反するばかりか、前述した本件の経緯等にもそぐわないものである。特に、被告人A子が犯行の前後にG子方から五回も電話をかけて連絡してきたことや、被告人A子と共にG子方に赴いて金庫を開けようとしたことを合理的に説明することができない。また、その供述内容自体にも、不自然不合理な点や曖昧な点が少なくない。しかも、被告人Bは、捜査段階ではそのような弁解を一切せず、公判廷において突然主張し始めたものであるところ、そのように弁解する時期が遅れた理由について何ら合理的な説明をすることができない。これらの事情を考慮すると、被告人Bの公判供述は到底信用できない。

7 結局、被告人Bの公判供述は信用できず、被告人A子の供述及び同Bの捜査段階における供述はいずれも十分信用することができる。したがつて、これらの証拠を含む前掲各関係証拠により、被告人両名の間で本件強盗殺人の共謀が成立していたものと優に認めることができる。

三 N方での窃盗事件について

1 N方での窃盗事件に至る経緯は、次のとおりである。

生活費等に窮した被告人両名は、他人の家に空巣に入つて金品を盗み出そうと考えたものの、被告人Bには窃盗の前歴が多数あつて指紋等から犯人と割り出されるおそれが強かつたため、そのようなおそれのない被告人A子が実行行為を担当することになり、被告人Bが同A子に侵入の手口や犯行の方法等を教えたり、侵入道具を準備して渡したりした上、被告人A子が事情を知つている同被告人の知人らの家を選んで前記犯罪事実第二の一及び二の窃盗行為を実行した。被告人両名は、さらに、同様の方法での窃盗を企て、N方での窃盗事件の当日、被告人A子が知人のP方に盗みに入ろうと考え、それを被告人Bに話し、同被告人もそれを了承したので、被告人A子は、同Bをホテルに残し、侵入道具等を持つてP方に赴いたものの、人に見られずにガラスを割つて入れる状態ではなかつたことからP方での犯行を断念し、同被告人に電話をかけた後、被告人A子の知人であるN方に侵入してパソコン一式を盗み出した。

2 以上の経緯については、被告人Bも争つていないところ、同被告人は、公判廷において、「A子から電話がかかつてきた際、同人から、予定の家に盗みに入れなかつたので金を借りてくると話されたのであり、窃盗をするという話は出なかつた。」と供述して、窃盗の共謀を否認している。

3 しかし、被告人A子は、公判廷において、被告人Bとの電話でのやりとりにつき、「ホテルで待つていたBに電話をかけたところ、同人から『どうするの。』と強い調子で言われた。そこで、盗みができそうな家があつたらやつてくると話したところ、Bも了承したので、その後、N方に行つて、本件窃盗を実行した。」と供述している。

被告人A子は、捜査段階では、「N方で窃盗をするとBに伝えた。」と供述していたところ(被告人A子の検察官調書--乙三〇)、公判廷ではこれが記憶違いであつたとして前記のように供述しているものであり、捜査段階での供述よりも被告人Bにとつて有利な方向に変遷しているところ、既に強盗殺人事件について検討したとおり、被告人A子が捜査段階でことさら同Bに不利な虚偽の供述をしたとは考え難い上、被告人A子の公判供述には、その内容に特に不自然不合理な点は存在しない。しかも、被告人B自身、捜査段階において、当初は曖昧な供述をしていたものの、その後は、「A子は『盗みのできそうな家がある。とにかく行つて盗んでくる。』と言つたが、N方に入ると言つたかどうかはよく覚えていない。」と供述し(被告人Bの検察官調書--乙六七)、被告人A子の捜査段階の供述とも異なる供述をしていたところ、公判廷において前記のような供述に変遷させた理由について、何ら合理的な説明をすることができないのである。

このような事情に照らすと、被告人A子の公判供述は十分信用することができる。

4 被告人A子の前記公判供述によると、被告人Bは、同A子が窃盗を実行するのがN方であることまでは認識していなかつたものであるが、被告人Bは、前記のとおり、被告人両名の生活費等を捻出するために、窃盗の手口等を被告人A子に教えたほか、侵入道具を準備して同被告人に渡し、同被告人に窃盗の実行行為を分担させ、窃盗の場所を具体的にどこにするかの判断も同被告人に委ねていたのであり、被告人A子も同Bの意図を認識した上でN方での窃盗を実行したのであるから、被告人Bが窃盗を行う具体的な場所までは認識していなかつたとしても、同A子との間で窃盗についての共謀が成立していたものと認めることができる。

結局、N方での窃盗事件についても、被告人Bは共謀共同正犯としての責任を負うべきものと認められる。

四 結論

以上検討したとおり、関係各証拠によれば、本件強盗殺人事件及びN方での窃盗事件のいずれの事実についても、被告人両名の共謀を認定することができる。

(法令の適用)

被告人両名につき

罰条

第一の窃盗の行為及び第二の一ないし四の行為

いずれも刑法六〇条、二三五条

第一の強盗殺人の各行為

各被害者ごとに

いずれも刑法六〇条、二四〇条後段

刑種の選択

第一の強盗殺人の各罪 いずれも死刑を選択

併合罪の処理 刑法四五条前段、一〇条、四六条一項本文(刑及び犯情の最も重い第一のK子に対する強盗殺人罪につき、被告人両名を死刑に処し、他の刑を科さない。)

訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項ただし書

(量刑の理由)

一  本件の概要

本件は、被告人両名が、家出をして遊び暮らしているうちに金銭に窮し、共謀の上、まず知人宅等での窃盗を繰り返し(第二の各事実)、次にG子方での窃盗を行つたばかりか、更には計画的にG子親子を惨殺して金品を強取した(第一の各事実)というまれに見る重大で悪質な事犯である。

二  強盗殺人事件の犯情について

本件犯行の動機は、被告人両名が家出をして窃盗を繰り返しながら遊び暮らし、更に二人で享楽的な生活を続けるために、被告人A子がかつて世話になつたことのあるG子方の金庫に狙いをつけ、G子及びその娘K子を殺害した上、金庫内の現金、預金通帳等を奪おうとしたものであり、被告人両名の短絡的かつ自己中心的な動機には全く酌量の余地がなく、同情すべき事情は何ら存在しない。

被告人両名は、G子親子を殺害して金品を強取することを犯行前日から企て、具体的な殺害方法等についても詳細な打合せを重ねた上、当日には、G子親子を気絶させるための道具として金槌を持つて行き、犯行に及んだものである。このように、本件は、計画的に実行された犯行である。しかも、被告人両名は、被告人A子が被害者らと顔見知りであるため、犯行の発覚を免れるためには被害者両名を殺害するほかないと考えたほか、G子方において犯行を逡巡した被告人A子が同Bに何度も電話をかけると、被告人Bが同A子に実行を強く促すというやり取りを繰り返すことによつて殺意を固めて敢行したのであるから、被害者両名に対する殺意は確定的かつ強固なものと認められ、偶発的な事情から予期に反して殺害するに至つた事案などとは全く異質の冷酷な強盗殺人事件といえる。なお、計画ではG子を気絶させて鍵を奪つた上、同女を脅かして金庫を開けさせるつもりであつたところ、結果的に実行できなかつたのであるが、これはG子をなかなか気絶させられなかつたためであり、本件の計画性の程度が弱まることにはならない。

犯行の態様を見ると、まず、K子に対しては、被告人A子が、こたつに入つて漫画を読んでいた無防備なK子の背後から金槌で後頭部を多数回にわたり殴打し、同女が「痛い。何するの。」とか、訳も分からずに「ごめんなさい、ごめんなさい。」と叫ぶのを無視して殴打し続けた後、同女を廊下に引きずり出し、再び金槌で後頭部を殴打して抵抗力を奪つた上、台所から持ち出した包丁で心臓を狙つて同女の胸部を突き刺し、さらに同女が動かなくなるまで、胸部、背部等を多数回にわたり刺し続け、二〇か所以上もの刺切創を負わせて失血死させている。次に、G子に対しては、被告人A子が、包丁二丁を携えるなどしてG子の帰宅を待ち構え、G子が帰宅し、勝手口から上がつて「K子、K子。」と言いながら六畳和室に入ると、その首にパンティストッキングを掛けて力一杯引つ張り、同女がベッドに倒れると、頭部を狙つて金槌を振り下ろした後、「助けて、助けて。」と叫ぶG子の声に耳を貸すこともなく、包丁でその上半身を数回突き刺し、さらに、同女を確実に殺害するために別の包丁に持ち替えて多数回にわたり刺し続け、顔面、頚部等にやはり二〇か所以上もの刺切創を負わせて失血死させている。以上の殺害方法は、いずれも鋭利な包丁で身体の枢要部を滅多突きに刺したもので、極めて執拗かつ残虐である。被害者両名の遺体が横たわつて血の海と化したG子方は、正に地獄の様相を呈しており、痛ましい限りである。

また、金品強取行為及びその後の行為についてみると、被告人A子は、K子を殺害した後に革製ハーフコートを奪い、さらにG子を殺害した後に現金等の在中した財布を奪い取り、これらを持つてホテルに戻つた。そして、被告人A子が同Bに対し、G子親子を殺害し財布等を強取したものの金庫の鍵が見つからず金庫を開けることができなかつたことを話すと、被告人Bは、二人でG子方に行つて金庫の鍵を探すことを提案した。そこで、被告人両名は、G子方に赴き、土足で同人方に上がり込み、被告人A子がG子の遺体から金庫の鍵を探し出し、被告人Bはこの鍵を受け取るとK子の遺体をまたいで金庫に近づき、鍵を使つて金庫を開けようとしてもうまくいかないと、さらにドライバーや金槌を使つて手を尽くしたが、結局金庫を開けることができなかつたという経緯が認められる。そこには、何としても大金を得たいという欲望を満たすことしか考えない被告人両名の冷酷無比な姿しか見ることができない。なお、被告人両名は、本件犯行後新幹線を使つて東北地方に逃走し、約三週間後に家出人として保護されているところ、その時点では、既に警察が被告人両名を本件の容疑者として把握していたのであるから、被告人両名が本件を自供したことが自首に当たらないことはもちろんである。

本件の結果は、いうまでもなく極めて重大である。G子親子は、母と娘二人きりで幸せな生活を送つていた。ところが、久し振りに訪ねてきた被告人A子を快く迎え入れたばかりに、かつては家族ぐるみで親しくしていた同被告人の手によつてかけがえのない生命を次々に奪われ、母と娘のきずなは引き裂かれ、平和な家庭は一挙に崩壊してしまつた。当然のことながら、G子親子には何らの落ち度もない。G子は、当時五〇歳で、K子をほとんど女手一つで育て上げるなど苦労は少なくなかつたが、明るい性格で近所付き合いも良く、面倒見の良いところがあつた。G子は、最愛の娘がよもや被告人A子の手によつて無残な姿に変わり果てているとも知らずに帰宅し、その途端に突然の凶行を受け、誰からなぜこのような仕打ちを受けるのかも分からず、また、K子の生死も分からないまま、この世を去つたのである。その無念さ、また、死に至るまでの肉体的苦痛がいかばかりであつたか想像の限度を超えるものがある。娘のK子は、当時二四歳で、知的能力に多少難があつたものの、優しくおとなしい性格で、仕事も同女なりに精一杯励んでいた。被告人A子から金槌でいきなり頭部を殴打された時、訳も分からないまま「ごめんなさい、ごめんなさい。」と言つて謝るしかなかつたK子の姿を想像すると、正に悲痛というしかなく、やはり死に至るまでの肉体的苦痛は筆舌に尽くし難いものだつたと察せられる。無残な姿で母親と最期の対面さえできずに短い人生を終えねばならなかつたK子の無念さは、察するに余りある。

また、被害者二名の命を一度に奪われた遺族らの精神的苦痛、悲嘆、遺懣の情は絶大であり、被告人両名の親族らからの謝罪の申入れに対してもこれを固辞し、G子の母及び姉がいずれも被告人両名が極刑に処せられることを望んでいる心情も、十分理解できるところである。

さらに、本件が閑静な住宅街において二人暮らしの母と娘が惨殺された金品を奪われた事件として広く社会に及ぼした影響、特に近隣住民に与えた恐怖感は大きなものがあつたと認められる。

三  窃盗事件の犯情について

窃盗事件は、いずれも家出生活を続けるための資金を得る目的で、窃盗に必要な道具を準備し、被告人A子の知人宅に忍び込むなどして金品を窃取した上、品物を質入れして換金し、生活費等に充てていたという事案であつて、各犯行の動機に同情の余地はなく、その態様も悪質である。

四  被告人両名の個別的事情について

被告人A子は、乙山荘に住んでいたころ、G子に世話になつたり、K子と姉妹のように仲良く遊んだりしていたにもかかわらず、G子方に金庫があることなどを被告人Bに話して窃盗の対象として取り上げ、同被告人からG子を殺害して金品を強取することを持ち掛けられると、安易にこれに同意したばかりか、更にK子をも殺害することを提案し、犯行当日も、G子親子から暖かく迎えられたにもかかわらず、自らの手で両名を殺害した上、金品を強取したのであり、極めて冷酷かつ非情である。確かに、被告人A子が同Bに利用された面があることは否定できないが、被告人A子は同Bより年上であり、むしろ同被告人をたしなめるべき立場にあつたのである。そして、現場において実際に実行に移すか否かは、被告人A子自身の判断に委ねられていたところが大きく、また、K子殺害後、同女に対する哀れみの情を抱いたと言いながら、なおも金品強取のためにG子殺害にまで及び、結局、自らの判断で続け様に二人もの尊い生命を奪つたのであり、厳しく非難されなければならない。また、被告人A子は、各窃盗事件(ただし、第二の四の犯行を除く。)についても、いずれも自己の知人宅を狙つて自ら実行行為に及んでおり、犯情は悪質である。

被告人Bは、まずG子殺害を提案し、被告人A子からK子殺害の話が出るとこれに同意し、具体的な殺害方法、金品強取の方法、犯行後の逃走方法等について主導的に詳細な計画を立てた上、被告人A子が自分に対して強い恋愛感情を抱いていることを巧みに利用し、被告人A子に実行を決意させ、同人が躊躇を示すと「やると言つてもどうせできないだろう。」などと逆説的な言い方で挑発し、あるいは「絶対殺せよ。」などと積極的に促すなどして、被告人A子が確実に強盗殺人を実行するように仕向けたのであり、まことに狡猾かつ卑劣である。確かに、被告人Bは、直接手を下していないばかりか、犯行現場にも赴いていない。しかし、それは、本件強盗殺人の計画において、被害者らに警戒心を与えずに背後から攻撃するには、被害者らと顔見知りの被告人A子が被害者らの油断している隙を狙つて実行するほかなく、被告人Bが同行するわけにはいかなつたためであり、また、被告人A子が本件強盗殺人を遂行できたのは、正に被告人Bによる発案、詳細な計画、殺害方法の指示、電話での挑発等があつたためであるから、被告人Bの刑事責任の重大さは、決して被告人A子のそれに劣るものではない。また、窃盗事件についても、ほとんどは被告人Bが同A子に指示し、侵入の手口や窃盗の方法等を具体的に教えたり、侵入道具を準備して渡したりして同被告人に実行させたほか、車上狙い(第二の四の犯行)は自ら実行行為に及んでいるのであつて、犯情は非情に悪い。さらに、被告人Bは、これまでの生活態度も芳しくなく、中学校のころから窃盗等の非行に走り、少年院への入退院を繰り返し、その間、生活態度や規範意識の改善の機会が何度となく与えられたにもかかわらず更生せず、特別少年院の仮退院中に本件各窃盗を繰り返した挙げ句、仮退院からわずか四か月後に本件強盗殺人に及んだものであり、その矯正は極めて困難であるといわざるを得ない。そして、被告人Bは、捜査段階においては概ね自己の犯行を認めていたものの、起訴後は強盗殺人及び窃盗一件についての共謀を否認し、被告人A子に全責任を負わせて自己の罪責を免れようとするなど、真摯な反省の態度が認められず、これは被告人B本人のためにも非情に残念なことである。

以上の諸事情を考慮すると、被告人両名の刑事責任はいずれも極めて重大というほかはない。

五  被告人両名にとつて有利な事情について

もつとも、被告人A子については、同Bに利用された面があること、本件強盗殺人を敢行する直前まで何度も躊躇したという事情も認められること(とはいえ、犯行を思い止まる機会が何度もありながら結局は金品強取という身勝手な目的のために計画どおり二名を殺害したのであるから、途中で躊躇したことを過大に評価することはできない。)、第二の各強盗事件についてはいずれも被害弁償済みであり、特に第二の一ないし三の各窃盗事件については被害者との間で示談が成立し、その被害者らは被告人A子に対する寛大な処罰を望んでいること、被告人A子は現在まだ二八歳であること、業務上過失傷害罪による罰金刑があるほかは前科前歴がなく、被告人Bと共に家出をするまでの生活態度や勤務態度にも特に問題はなかつたこと、公判廷においても真摯な反省の態度を示していること、親族及び友人らが被告人A子の更生に協力していく旨公判廷において述べていることなど、また、被告人Bについては、本件強盗殺人を行う直前に二〇歳になつたばかりであつたこと、生い立ちが必ずしも恵まれたものではなかつたこと、母及び義姉が被告人Bの更生に助力する旨公判廷において述べていることなど、各被告人にとつて有利に斟酌すべき事情も認められる。

六  結論

しかし、これらの有利な情状をそれぞれ最大限に斟酌し、かつ、死刑が人の生命を奪い去る冷厳な極刑であり、真にやむを得ない場合における究極の刑罰であることを一二分に考慮しても、犯行の罪質、特に本件強盗殺人が当初から被害者両名に対する強固な確定的殺意をもつて敢行された計画的犯行であるという特質、犯行の動機、犯行態様、何よりも二名もの尊い生命が奪われたという結果の格別な重大性、遺族の被害感情、社会的影響の大きさなどにかんがみると、本件は余りにも重大かつ悪質な事案であつて、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、被告人両名に対していずれも極刑をもつて臨むほかないとの結論に達した次第である。

(求刑 被告人両名に対しいずれも死刑)

(裁判長裁判官 池田 修 裁判官 保坂栄治)

裁判官 木太伸広は転補のため署名押印することができない。

(裁判長裁判官 池田 修)

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